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2007年12月19日

闇市について考察します

闇市について解説します

闇市(やみいち)とは、何らかの統制経済体制のもとで物資不足の状況における、統制に外れ非合法に設けられた独自の市場経済原理で取引を行う市場。ブラックマーケット。「ヤミ市」と表記する場合もある。

日本では、1923年の関東大震災後、東京近郊で露天市が成立している。しかし、一般的に「闇市」という場合は、第二次世界大戦後の連合軍占領下の日本の混乱期に成立した商業形態で、いわゆる三国人や華僑、引揚者、罹災者、愚連隊らが戦災による焼跡などを不法に占拠してバラック建ての店を構えていたものを指す。

終戦直後の日本では、兵役からの復員や外地からの引揚げなどで都市人口が増加したが、政府の統制物資がほぼ底を尽き、統制経済下での配給制度が麻痺状態に陥り形骸化していた。都市部に居住する人々が欲する食糧や物資は圧倒的に不足していた。

まず駅前などに空襲による焼跡や建物疎開による空地が不法占拠された。工場や作業場などにまだ残っていた製品を持ち出すなど、家々からは中古の日用品、農家から野菜や穀物・イモなどの食糧など、各人がてんでに持ち込んだ品を扱う市場が成立した。しだいにそれらの個人店は寄り集まり、小規模な商店街のような様相を呈するようになった。
不法占拠の出店は的屋(テキヤ)などの組織が地割を仕切るようになり、ゴザやむしろ、よしず張りなどでお互いの境界を仕切り、地面に品物を並べる店や、台上に品物を並べる店のほか、移動式の屋台なども存在するようになった。やがて焼け残った廃材などでバラック建ての店が建設された。

闇市では法外に高い価格で物品や食糧が取引きされた。庶民はどうしても必要なものはそこで手に入れるしかなく、品物は飛ぶように売れた。1948年(昭和23年)までは新品は出回らなかった。 一般にこの時期の青空闇市は、警察のヤミ物資の取り締まりを見れば人々は急いで店じまいをし、退散し検挙を逃れることが多かった。長崎の闇市では、警察による闇市への一斉取締に抗議する者たちが警察署を襲撃し、警官1名が死亡する「長崎警察署襲撃事件」が起きた。


闇物資を没収する警察官とMP。闇市は日本各地の都市部に同時期に発生し、東京では新宿東口から新宿通りに成立していた箇所が知られる。闇市は土地の不法占拠にあたる為1947年(昭和22年)に閉鎖と撤去が指導されたが、警察は当面、闇市を事実上黙認していた。戦後の統制の撤廃により需要が低下し、1949年にGHQから闇市の撤廃命令が出されると青空闇市は規制され、やがて消滅した。
1960年に創設された刑法の不動産侵奪罪は、これら土地の不法占拠に対し土地所有者の自力救済の限界という側面から誕生したとも言われている。

現在では闇市の多くは商店街や繁華街となっており、かつての面影はない。ごく一部の地域の裏通りにかつての闇市を思わせる一角が残っている(新宿西口の思い出横丁、歌舞伎町の新宿ゴールデン街など)。文化的には、満州や朝鮮半島、台湾などの人々や、入植者が日本に引揚げたことでそれらの国の食文化も闇市を通じて広まった。【ウィキペディアWikipediaより引用】

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